いらぬ夜更かし。

最近デザインの参考に「チェコの映画ポスター」(ピエ・ブックス)を購入。

コラージュ作品のイメージはほとんどこの時代にやり尽くされていたと思われる。切り張り好きにはたまらんイメージばかりだ。ジョゼフ・コーネルの箱アートを彷彿とさせる。色合いもとにかく素敵で今後かなり表現に使わせてもらおうと思う。

寝る前に、私淑する平沢博士の一曲をば。

「条件童子」

今敏監督作品、妄想代理人のBGMで三間雅文音響監督が“ヒップホップ風で”と師に要求したと話は有名であるが、最近個人的に特によく聴いている。

平沢的ヒップホップはやはり音楽として面白く、違和感しかないのに整っているという流石の一言なのだが、特筆すべきは1:12秒あたりから突如聞こえ始める不気味な音だ。

「幼い頃に漠然と怖かったもの」が思い起こされる。人のもっている根源的な寂しさであったり孤独感といいますか。イメージとして頭に浮かぶのは夕暮れどきの人影のない団地に漂う不安。個人的にも大ファンである形而上絵画で有名なジョルジョデキリコの作品を彷彿とさせるイメージだ。やはり自分の好みのものというのはどこかで全てつながっているのだな。

物凄く、こわい。が、なぜか安らかになれる。これを聴いて今宵も寝るのである。

条件童子(妄想代理人サウンドトラック 平沢進)


飄然と、神奈ぶら(神奈川ぶらぶら)。

インザルーム

曇天なり。

2月10日(火)、珍しく振休(振替休日)というものを頂いたので飄然と旅をしたいと思った。どうでもいいけど最近、町田康さんの「東京飄然」を読んでから町田節に憧れて、やたら飄然という単語など使ってみたくなっている(こうして特に文才がない者が使うと全然高踏的じゃないけれど)。

普段、朝が苦手な自分もこういう日は朝から行動したくなってしまうらしい。7時起き朝ごはんを食べて電車。二子玉川で降りてスタバに寄る。主婦や学生などがいる。1日の計画を確認しようとしていたのだが、暖房が当たらないところに座ってしまったため、非常に寒い。

あまりにも寒かったので、すぐ出る。スタバにはよくよく縁が無い多田。ちょっと早かったが目的地へ行くことにした。駅から徒歩10分の玉川大師である。
tamagawa
なぜここか。
先日、いつもお世話になっているみずさわ珈琲(http://orange.zero.jp/mizusawa.rose/)のマスターから聞いたお勧めスポットなのだ。「15分でできるお遍路」が売り文句。

効果あるのか?それ。

なにやら境内の地下に迷路のような場所があり、暗闇の中を手探りでゴールを目指す胎内巡りが体験できるというのである。うん、都心にありて異空間なり。興奮しないはずがないわけで、早速いってみた次第。

まず神社の入り口が迷う。あまりにも迷ったので神社の前で神社に電話して教えてもらった。そのまま正面から入ればよかった。よくわからないまま、お遍路のお話とガイドを聴く。紙に名前を書き、お金をおいてサンダル履いてさあ行かん。

おお、暗い。

噂通り真っ暗闇である。壁伝いにゆっくり迷路を進む。ちょっと傾斜がついていてなかなかスリリングである。自分はタッパがあるので、天井にぶつからないかが心配で怖かった。途中、明かりが灯されている広間に出る。絵が飾ってあったり、仏像様が山ほど飾ってあるゾーンで適宜お祈りしたりとゆるーくもお遍路を堪能。最後にお遍路完了の証である銅鑼を控えめに叩いて終了。

四国に行かずともお遍路達成。
闇の中で壁に埋め込まれた仏を触れたら今年1年良い感じになるらしかったが、完全に忘れていた。
外に出たら、また10分ほどしかたっていなかった。

うむむ。計画ミス。
本当はここである程度時間を使ってからオシャレに二子玉川でランチして優雅に高島屋で買い物して帰る計画であったが、なんか全然時間かかんなかったのである。昼間でまだ2時間以上もある。

どうしようか考えていた時、玉川大師のおかげでちょっと別の神社にも行きたいなという衝動に駆られた僕は、ふと頭に浮かんだ伊勢原の大山阿夫利神社に向かうことにした。

さあ旅だ。神奈川県でも知らないところに行くのはとてもわくわくする。

早速電車に乗る。東京から遠ざかる路線は平日は空いていて読書を満喫できた。ぼーっとしていたので途中路線を間違えるなりなんなりして30分ほどタイムロス。まあいいや。

伊勢原駅に到着。山が近い。実家みたいな長閑さであるなあ。しかしまあ2月だからか、昼間から学生の多いこと。普段昼間に外をうろつくことがないからか、街にこんなに学生がいるのかと改めて驚嘆してしまった。都会の学生にビビる社会人2年目。

駅からはバス。おばあちゃんたちと山の方へ向かう。大山ロープウエイ(終点)まで乗っていたのは自分ひとりだけだった。大丈夫かな?ちょっと不安。昼を食べていなかったのですぐそこの飲食店で御飯、カツ丼を喰らう。普通。もっと店を調べるべきだったであろうか。まあいいや。

バス降りたところからすぐロープウエイで山頂まで行けるものだと思っていたのだが、乗り場まで結構歩いて登らなければならなかった。ひたすら登る。途中、有名なお土産のコマやみたらし団子なぞ商っている店が軒を連ねていた。

1

ガンガン無視して乗り場を目指す。結構汗かいた。着いたときにちょうどロープウエイが出たところだった。今日はなんかリズムが悪いぞ。20分待った挙句に乗る。急勾配を駆け上がる。ほほほ、高いところは面白き哉。

2

着いた先にはまだ雪が残る仏閣がそびえ立っていた。

3

うん。目的は達成するまでの過程が楽しいものだな、とは多田の言葉である。フィンランドのヘルシンキで歩き回った時の思い出が蘇ってきた。おみくじは小吉だった。即、結んだ。

帰りもロープウエイの発車に間に合わず、山頂のお茶屋で一服。団子を食う。うむ、普通。

帰りは今までの不運の分、バス、電車、全ての時間がうまい具合に合っていつの間にか家。

さて、また明日から頑張るのである。


向き合う。

敬愛してやまないアニメーション映画監督、今敏監督のみるべき100選+αを大学時代から見続けているのだが、最近になってとくに熱心に観ている(ほぼ4年間かけてもまだ半分ぐらいしか見終わっていない、過去の自分の為体たるや甚だしい)。

その中でも特に気に入っているものについていくつか個人的考察をば。

サイダーハウス・ルール(The Cider House Rules ラッセ・ハルストレム 1999)

非常に感動した。

そして最初、僕は“サンダーハウス”だと勘違いしていた。“雷の家”て、なんじゃいそれは。“サンダーハウスルール”一文字違うだけで完全にファンタジー作品である。うん、「サイダーハウス・ルール」。サイダーハウスは果樹園の家のこと、サイダー=林檎ジュースであった。成程、本編の重要なマストアイテムである果樹園の労働者規則の紙のことか。とようやく納得。まあそんな話はともかく。

 

非常に感動した(キリッ(`・ω・´))。

オープニングからもう心をつかまれる。いい映画の条件だ。寒空の下、汽車が左上から斜めにカットインしてレイチェル・ポートマンのピアノメロディ。もう泣けてしまう。話は、人里離れた孤児院から始まる。孤児院で医者として育てられた若者ホーマーの旅立ちと思春期、リンゴ農園で仕事をしていく中で自分の運命と向き合い、仕事を自分のすべきことを決意する物語。

ラッセ・ハルストレム監督といえば個人的に幼いころによく見た「やかまし村のこどもたち」の印象が強い(僕自身スウェーデンの田舎暮らしや北欧にものすごく憧れがあるのはきっとその所為)。「マイライフ・アズ・ア・ドック」も鮮やかな子供たちの人間ドラマが丁寧に描かれていて、見ていて非常に好ましかった。この作品もとにかく孤児院の子供たちの素敵なこと。子供たちを描かせたらこの監督以上はいないのではないかというぐらい素敵な表情を撮る。前半の孤児院でのシーンでは個性豊かな子供たちがとにかく動き回り、悩み、さまざまなドラマが展開される。雪合戦のシーンあたりが好き。

後半、主人公は孤児院を出る。そして初めて見る海、リンゴ園での暮らし、ヒロインキャンディとの恋。一人の男として、共感する。ミスター・ローズとその娘、ローズとの一件で物語は最終局面に入る。主人公が自分の医者としての運命と対峙し、それと向き合い医者として生きていくことを決意するシーンには本当にグッとくる。育ての親であるドクター・ラーチの一件についてもグッとくる。同監督の「ギルバート・グレイプ」もそうだけれど、青年の主人公が覚悟を決める瞬間というか通過儀礼的なシーンが非常に僕としては共感させられることが多い。

この映画には倫理の問題とか青春の思い出とか時代背景に対するいろいろな争点や観方があるのかもしれない。僕自身は“一人の男が天命と向き合い、仕事を決意する映画”という風に捉えた。どんな状況でもどんなに苦しくても、その仕事をするのは自分しかいないのだ。そういったときに逃げずに目の前のことに打ち込む、それが生きるということだと思った。あまりによかったものでレイチェル・ポートマンのサウンドトラックを買ってしまった。

うん、何気ない日常の風景にベストマッチの音楽だ。